竹内薫 著 思考のレッスン
-発想の原点はどこにあるのか-茂木健一郎対談付
という本を衝動買いしました。
無印良品の図書コーナーで立ち読みしていて、面白そうだったのすぐにレジへ。
たまたま読んだページに興味のあることが書いてあったのですが、初ページから読んでみると、なにか文章が軽い。
そのうち(笑)の文字が含まれている文章が出てきます。
編集者が録音のテープから起こした文章のようで、茂木健一郎との対談とは朝日カルチャーセンターでの収録の編集者書き出しでした。
無印良品(キャナルシティ博多店)に置いてある本は、流行のトレンドとは関係なく、ある程度中身のある売れた(読まれた)本が置いてあると思います。
マニアックな部類の本も多数あったり。
マニアックといえばビレッジバンガード(マリノア店)も稀少価値的な本を置いていますが。
本の内容に入ります。
まとまりの無い雑文的内容なのですが、読了後(何とか最後まで放り投げずに)残ったのは。
一言でいうと、”何かに固定されることなく思考を続けることの重要性”かなと。
竹内薫も茂木健一郎も大学の主流派からは距離を置き、大学院試験に落ち一度は挫折を味わっている人で、文系・理系を渡り歩いた人となっています。
現在、メディア的には二人とも活躍をしていますが、自分たちの経験から、世の中に溢れている一般的な知識には気を付けなさいと訴えています。
面白い愚痴を交えながら。
科学の定義は反証可能性にある。と言ってます。
100パーセント真実に近いと思っていても完全な100パーセントではない。
0.1パーセントでもひっくり返ることはあると。
議論にも定量的議論と定性的議論があり、定量的とは根拠を示すことが出来ることであり、定性的とは感情が入り飛躍があるのだと言ってます。
大きな括りで分けるとすれば前者は理系的、後者は文系的となります。
一番困るのは決めつけてしまって議論までに至らないことに遭遇することだとも。
しかし、読んでて作者が愚痴を書いてるような部分では言葉が飛躍して、理由が示されていない部分が多々ありました。(かなりのバイアスがかかってるなと思うところ)
話が戻りますが、なぜこの本を手に取ったかというと、最近の気になるワードに「ナラティブ」というのがあり、それに紐づいたことが書いてあるのかなと思ったからでした。
ナラティブという言葉が最近使われるようになった背景には、文系・理系の融合の有意性が再考されているのからだと思います。
経営的な言葉で言うデザイン○○○と同じような意味だと考えることもできます。
それぞれに尖ったことは認めたうえで、そのかけ合わせの最良の方向性を決めると言う事。
超解かり安い例え話で説明すると。
病気を治すことに使命を持つ医者が、助からない患者を最新の医療で延命させるというような。(?)
治す事が最善の治療ではなく、患者の生に意味のある治療が最善であるという意見。
白黒をつける判断ができない場合にナラティブというアプローチが有効になるのではないかと言う事かなという考えです。
俯瞰したところから眺めてみると言うような。
デザインするという事と同意なのかもしれません。
昔から続いている組織の中では、そのような考えを実装することは困難なことだとは思いますが。
それ故に、茂木健一郎や竹内薫といった主流派ではないイノベイター的な人物の存在が重要なのかもしれません。
一つ間違えてはならないことは、”物は言いよう”ということに陥らないこと。
非常に難しいバランスだと思います。
文系的・理系的という分け方があるとすれば、お互いに補完する関係が機能するのが理想です。
去年のノーベル化学賞受賞者の吉野さんがコメントで、考古学は重要ですというような話をされていたのが記憶に残っています。
本質は意外と単純化して考えてみると、たどり着けるのかも知れません。