予防医学者の石川善樹が、あるイベントで以下のようなことを語っていました。
「世の中で一番長い小説はプルーストの「失われた時を求めて」です。
チョー短く要約すると3つの事が書かれていて、最初は名声を得ることを求め、次に恋に走ることに移り、最後の3っ目に人生の振り返りを考えている。(多分)
昔から人の幸せに関しては哲学・文学の方から語られてきたけど、20世紀に入ってからこの部分に科学のメスを入れるという試みがなされてきている。
医学の分野でもillnessという部分の研究はなされてきたが、病気を治すという事と人が幸せになるいう事は分けてアプローチしなければならないという事に気づきはじめた。
well-doingではなくてwell-being。
ひとが幸せであり続けるという事はなんぞや。」
プルーストが最後の境地でわが人生を振り返るというところで、人は習慣というものに捉われる生き物であるということを発見したというのでが、その部分に関しては飛躍があって説明がなされなかったので残念でした。
しかし、定量データを集積することで人が永遠考え続けてきた題目にエビデンスを与えるという事は意味のある事だと思います。
社会科学的的に考えると、昔は戦争や病気がなくなることが人類の幸福度を上げるという事だったのでしょうが、現在においては成長期から成熟期に移ってしまった国で、外的なものから内的なものへ価値観を見いだすようになるというのは必然なのかもしれません。
話は変わりますが、今の世の中平和ボケしていると感じる時があります。
アメリカの若者は全体主義・共産主義という言葉にあまり嫌悪感を抱かないようになってきているとある記事に書いてありました。
人類は競うことにより発展しますが、そこに「思いやり」の部分が伴わないと二極化が進みます。
経済発展において、中国の次はアフリカがあるのだからから大丈夫という単純思考の人はいないと思います。
将来の事は先送りにしてしまうという思考が危険で、このままでは何かが起こるのではと心配するのは自分だけでしょうか。
社会主義的コントロールと自由主義的発展。
この二つの連立的な実装は難しいという事です。
“それはサステナブルであり得るか”
“ナラティブ発想を加えてみる”
この二つのワードはとても重要です。
最近の新型コロナウイルスのニュースを読むと、ついついネガティブ思考になってしまいます。